Grant Park, Chicago
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 1⃣ 2⃣ 


MQAで聴くクラシックの名盤

第14回


一気に駆け抜けていく

爽快さが凄い

文:野村和寿


 

東欧ハンガリーに生まれ、終戦直後からドイツ、イギリス、アメリカと指揮棒1本をもって渡り歩いた指揮者ゲオルグ・ショルティは常にエネルギッシュな指揮ぶりで、聴衆を圧倒し続けた。記念碑的なシカゴ交響楽団のマーラーの交響曲第5番は、MQA-CDで登場した。とびきりの小気味よさを味わいたい。

 

 

『マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調』 

ゲオルグ・ショルティ指揮 

シカゴ交響楽団 

1970年3月 シカゴ・メディナ・テンプルで録音

MQA-CD 

ユニバーサルミュージック 

3,000円+税 

 

 

指揮者の目力を直接体験したことがある。1990年指揮者小澤征爾の記者会見に出席し、私が小澤に質問を投げかけたときのことである。小澤は、記者席の私を見据えるように、私の質問にきっちりと答えてくれた。質問者の方を向き、相手をみつめて話す小澤の目力の強さに、私は圧倒されたものだ。指揮者小澤征爾の目力でオーケストラのメンバーはみつめられているんだなと、そのとき、痛切に感じられた。

 

指揮者には、大きくわけて2つのタイプがある。ひとつは、オーケストラのメンバーにこれから演奏する曲について文学的な言葉で、いかにその曲が美学として哲学として美しいのかを説明してから練習に入るタイプ。たとえば名指揮者ブルーノ・ワルター(1876-1962年)がこのタイプといわれた。メンバーは、その深い音楽への指揮者の教養と洞察力に圧倒されて、自分たちも髙みに達すべく一生懸命演奏しようとする。

 

もうひとつの指揮者のタイプは、オーケストラのメンバーに、楽譜に書かれた拍のとおりに正確に演奏させることを第一に考えるタイプ。

 

この代表的な指揮者は、イタリアの巨匠、アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957年)。オーケストラは拍に合わせて正確に演奏する。指揮者は、感情を決して表に表さずに、オーケストラと対峙し、100人にもなるオーケストラのメンバー一人一人に、目力を含む厳しい表情で、曲に指定されたテンポをきっちりと指示し続ける。指揮者は音楽上の問題が起きたときに、それを的確に指摘する。さきほどの、小澤征爾もこのタイプにあてはまり、今回ご紹介するマーラー交響曲第5番を録音した指揮者ゲオルグ・ショルティもまたこのタイプにあてはまるだろう。

 

どちらのタイプにしても魂と目力が大事になる。違いは重みづけの順番なのだ。ワルター・タイプはまず音楽の魂であり、トスカニーニ・タイプはオーケストラ・メンバーに目力で対峙し、作曲家の書いた楽譜に忠実に演奏することを大事にする。

 

指揮者に対してオーケストラにも大きく分けて2つのタイプがある。1つはヨーロッパ型、指揮者の指示した拍にきっちり合わせるのではなく、少しずらして演奏を始める。和音は少しずれて聴こえ、オーケストラの音はまろやかになる。もう一つは、イギリスやアメリカで多いタイプ。オーケストラ・メンバーのプロフェッショナルぶりである。彼らは、プロ意識に徹していて、万全の準備を整え、自分たちのパートを勉強し、練習した上で、指揮者とのリハーサルに臨んだのだった。シカゴ響の場合もこのタイプで、特に選りすぐりの各セクションを引っ張る15名の奏者たちがいて、いずれもその道の巨匠揃いだった。

 

ショルティは、私が直接触れたショルティ指揮シカゴ交響楽団による来日公演でも、あふれ出るようなみなぎる体力と、体全体からほとばしる厳しい音楽への妥協を許さない姿勢で、オーケストラ・メンバーに常にインパクトを与え、リズムの明確さとともにメンバーを鼓舞し続けていた。ショルティの指揮するときの、目力とダイナミックな有無を言わせぬ指揮ぶりは、常に私を圧倒した。センチメンタルな甘さは、どこにもみせず、オーケストラ・メンバーは、ひたすら、譜面に書かれた音符通りの演奏に邪念を取り去り集中し音楽に向かって演奏し疾走を続ける。

 

第2次大戦終戦直後、ドイツ人指揮者が一時ドイツの歌劇場で指揮できなくなったため、非ドイツ人だったショルティに白羽の矢が立てられた。奇しくも1946年、名門、ミュンヘンにあるバイエルン国立歌劇場の音楽総監督になリ、1952年まで務めることになる。また、1961年からは、ロンドンのロイヤル王立歌劇場の音楽監督を1971年まで務め、おもにオペラ指揮者として活躍する。兼任する時期もあったが、1969年からは、アメリカのシンフォニー・オーケストラであるシカゴ交響楽団の音楽監督になるのである。以来、1991年その地位を辞するまで22年間にわたり、ショルティは、シカゴ交響楽団とともにあった。

 

 

録音会場だったメディナ・テンプルは、現在、商業施設として使われている。高層ビルの中に独特の存在感を感じさせる。
録音会場だったメディナ・テンプルは、現在、商業施設として使われている。高層ビルの中に独特の存在感を感じさせる。

1970年3月、シカゴ交響楽団との初めての録音が、本曲であった。シカゴ交響楽団は、いつもの定期演奏会を、1904年竣工のシカゴ・コンサートホールで行っていた。古いコンサートホールは、雰囲気はとてもいいが、音響的にはややドライでデッドであり、録音には、別のホール、メディナ・テンプルが使用された。イスラム様式のエキゾチックな外観からメディナ・テンプルといわれたが、寺院ではなく、1912年に作られたもともと4,200席の大劇場だったところだ。(現在はシカゴのランドマークになっていて、地元のデパートの家具センターとして使われている)。

 

 

英デッカ(現ユニバーサルミュージックの一レーベル)の録音チームは、広大な空間が拡がるメディナ・テンプルを録音場所にした。英デッカは、録音技術が優れていることで有名で、デッカ・ツリーと呼ばれる、メインとする3本のマイクを組み合わせて独特のマイク・アレンジメントを生み出していた。

デッカ・ツリーと広大に拡がる空間とで、ショルティ指揮のシカゴ交響楽団のマーラー・交響曲第5番を録音しようとしたのである。ショルティの自伝によると、録音初日は、シカゴは、突然の吹雪で、録音開始時間を3時間も遅らせたことが、書かれている。しかし、ショルティにとっても、シカゴ交響楽団にとっても、記念碑となる本録音は、天候のことまで思い出すほどに印象深いものになった。

 

 

曲目解説

 

 第1楽章は、世界一の金管楽器奏者といわれたアドルフ・ハーセスの奏するトランペットのソロで始まる。始まり方がメンデルスゾーンの結婚行進曲の冒頭のファンファーレに似ているが、こちらは、長く長く途切れることのない葬送の行列の音楽で始まるのである。哀愁のあるエキゾチックなメロディーだが暗さはあまりない。

 

聴き手は葬列と共に歩を進める。ドラが鳴る。不意にトランペットが鳴り、金管楽器群が咆哮を始める。弦楽器群は控えめに葬列の後に続く。まるで映画の主人公になったように、聴き手は音楽の中に入り込んでいく。トランペットはますます激しさを増して輝かしい音を奏し、弦楽器群、ティンパニとも一体となって音楽は分厚くなりながら進んでいく。金管楽器群の咆哮の美しいことといったらない。最終場面で、トランペットは消え入るような弱音で葬列は遠くへ去って行く。

 

シカゴ交響楽団の首席トランペット奏者アドルフ・ハーセス(1921-2013年)は、1948年から80歳で引退するまでなんと53年間も、シカゴ交響楽団の正に顔としてトランペットの首席を務めてきた。録音が行われた1970年48歳だったハーセスの全盛期であり、ホールじゅうどこまでも通る輝かしいフォルテと無尽蔵のパワーが光を放っていた。

 

第2楽章は切れ込み鋭い低音弦楽器の鳴きから始まる。一瞬にして金管が咆哮し始め、ティンパニが炸裂、バイオリンも激しく動揺をみせるかのように激しい音楽を開始する。。落ち着いた御詠歌のようなチェロと木管楽器に夜の静かな啼き節と続く。本曲は第2楽章からが、本当の始まりとも思え、第1楽章は、そのほんの序奏であったことがすぐにわかってくる。弦楽器の優しさに満ちたメロディーが怒濤のようにあふれ出てくるかと思うと、時としてティンパニや金管楽器が猛アタックをみせる。

 

第2楽章のフィナーレは、金管楽器と打楽器のスケール感のある共演、激しさと優しさとが交互にやってくるのが、マーラーのまさに真骨頂である。そしてその饗宴は、いったん静かに幕を下ろす。

 

マーラーの肖像があしらわれたオーストリアの切手
マーラーの肖像があしらわれたオーストリアの切手

 

そして第4楽章である。アダージェットとは、「アダージョ(ゆるやかに)」という速度記号よりも、「やや速く」という意味で「ゆるやかによりやや速く」。この意味から発して、「アダージェット」というだけで、マーラーの交響曲第5番の第4楽章を指すことがあるくらい、単独でも演奏される。弦楽器とハープだけの楽章だ。この楽章は、後に、イタリアの名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』で使われ、すっかり有名になった。

 

 

私は、水の都ベネチアに、ボートで入ったことがある。ぼくの乗ったタクシー・ボートは、ベネチア空港から、一路ベネチアに向かって、高速で波を蹴立てていた。遠くにベネチアの象徴サン・マルコ広場の煌々とした灯りが見えてくる。あの夢にまでみたベネチアだ。ぼくの耳には、マーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」の旋律が流れ出していた。

 

というのも、名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の名作『ベニスに死す』(1971年イタリア・フランス合作・資本アメリカ)では、主人公の、アッシェンバッハ教授が、もやのかかる朝焼けのなか、船でベネチアへと向かう。教授は、作曲家であり指揮者という設定だ。その映画の冒頭で流れる、本曲が鮮烈すぎて、実際のベネチアに向かうボートのなかでも、ぼくの耳に聴こえてきたのだった。(続きを読む)

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