第9回 モーツァルト・アリア集~ウェーバー三姉妹/サビーヌ・ドゥヴィエル

 

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プロローグ

 

最初の4曲は「プロローグ:純情なる打ち明け話、または期待」とこのアルバムでは名付けられています。

 

1曲めはバレエ音楽『レ・プティ・リアン』序曲K.299bから入ります。ずいぶんと明るさに満ちていますね。みなさんよくご存知のハ長調(ドレミ・・・)で書かれた序曲です。モーツァルトは生涯で2度、パリに旅行しているのですが、一度目は1763年モーツァルトがまだ7歳の頃、ときのフランス王・ルイ15世の前でモーツァルトの頭から布をかぶせられて見えなくしてピアノを弾く特技を披露し神童ぶりを発揮しました。そして1778年モーツァルト22歳のときの2度目の旅行は母親マリア・アンナと一緒の旅行でした。アロイジアに恋をした今の南ドイツ・マンハイムを発ち、当時の大都会だったパリにやってきた、なにか明るさとはつらつさが、このバレエ音楽にはみなぎっているようです。

 

 

 

動画:本アルバムの録音風景です。

ドゥヴィエルがコロラトゥラ・ソプラノでうたい、ピション指揮アンサンブル・ピグマリオンのサポートが同時録音されているのがわかります。特に注目したいのは、ドゥヴィエルが、両手で音楽の流れを促すかのように、手を盛んに上げたりして声を出すきっかけや声の調子をとっているとこです。

 

パリに着いたときのわくわくした、パリの当時の流行を敏感に取り入れたのではないか?と思います。しかしパリ旅行の現実は明るくて溌剌とした音楽とは裏腹に母アンナの突然の悲劇の結末を迎えるのですが、悲劇のときにあっても、モーツァルトは悲しみをみせずに、とことんきれいで明るい音楽を作曲するのです。(歌なしでオーケストラのみで演奏されます。)

 

2曲めもパリにまつわる音楽です。「ああ、ママに言うわ」K.265と題されていますが、もともとは、当時フランスで流行していた音楽をテーマに、歌詞をつけてモーツァルトが作曲した曲(1778年作)ですが、後になって、モーツァルトは後世「きらきら星変奏曲」(1781−82年作)といわれて知られるようになりました。ピアノのための12の変奏曲を作曲し、「きらきらひかる・・・」という日本でも誰でも知っているあの曲です。

 

まさに、その「きらきら星…」の大本ともなる記念すべき曲なのです。よほどこの曲が気に入ったのか、モーツァルトは4曲めのパントマイム劇「パンタロンとコロンビーネ」中でも本曲を登場させてもいます。

 

本アルバムでは、ドゥヴィエルは伴奏なしのア・カペラで始まります。素朴なきらきら星が、モーツァルトの変奏によって、縦横無尽にきらきらと光を放ちます。

わずか3分たらずの曲ですが、有名なモーツァルト研究家のアインシュタインは、「モーツァルトの旋律の美しさや情感の躍動、長い眠りからさめ、本来の輝きを取り戻したような新鮮な音楽」と絶賛しています。(コロラトゥラ・ソプラノのア・カペラで始まり、後でオーケストラが加わります)

 

3曲め「人里離れた森の中で」K.308は、小さなアリアです。マンハイムのフルート奏者ヴェンドリングの娘アウグステのために、パリで作曲されました。「忘れたはずの恋に身を焦がす男心」を歌にしていまして、技巧的な華やかさとじっくりと歌い込むところが素晴らしく、きらりと光る比類ない傑作といわれています。(コロラトゥラ・ソプラノのソロとピアノ伴奏で演奏されます。)

 

4曲め「パントマイム劇 パンタロンとコロンビーネ」(K.446よりアダージョ)

コンスタンツェと結婚した翌年1783年にウィーンの新居での家庭音楽会の中で本人もアルルカン(道化師)として登場するパントマイム劇のための音楽を作曲しています。なんとこの家庭音楽会は夜6時に始まり、終演が朝7時といいますから長い長い大騒ぎの宴会でもあったわけですが。

 

既に他の人のもの(俳優・画家結婚しランゲ夫人となっていた)アロイジアを主人公コロンビーネ役でうたわせ、結婚後もモーツァルト自身には気があるともいいたげな曲を書いています。モーツアルト自身の役はペテン師で主人公の恋人役でした。悲しみに満ちた曲(オーケストラのみで演奏します。)

 

次女アロイジア(モーツァルト初めての恋人)

 

ウェーバー3姉妹の次女でモーツァルトの初恋の女性アロイジア・ウェーバー(1760?-1839) ウィキペディア
ウェーバー3姉妹の次女でモーツァルトの初恋の女性アロイジア・ウェーバー(1760?-1839) ウィキペディア

 

5曲めからの4曲はこのアルバムでは、「アロイジア、わが親愛なる友」と名付けています。つまり、モーツァルトがアロイジアのために作曲した曲ばかりを集めて演奏しています。

 

5曲め「アルカンドロよ、私は告白しよう、どこより訪れるのか私は分からぬ」(K.294)

モーツァルト22歳、アロイジア18歳 南ドイツ・マンハイムで、二人がつきあっていた頃、彼女の歌いっぷりがすっかり気に入ったモーツァルトは、ふたりきりになるチャンスを持ちたかったのでしょう、曲が完成すると、アロイジアに曲を携えて会いに行きました。

 

彼女はこの曲を素敵にうたい、大成功を博します。アロイジアはモーツァルトに、レース編みの袖飾りをプレゼントしたといわれます。成功の2日後に、後ろ髪を引かれる思いでモーツァルトはパリに旅立ちます。ドゥヴィエルの歌は、ここでも、美しく、透明感にあふれ、ころころとした美しさで、あたりの空気を切り裂くようにどこまでも響いています。(コロラトゥラ・ソプラノのソロと、オーケストラの伴奏で演奏されます。)

 

6曲め「ああ、できるならあなた様にお教えしたいものです」(K.418) 

本曲はアロイジアがすでにモーツァルトではなく、宮廷俳優で画家のランゲと結婚して人妻になった後(1783年)に作曲されたアリアです。(実はモーツァルトも作曲されたのと前年に妹のコンスタンツェと結婚しているのですが・・・)

この曲の題名のように、モーツァルトが今でも、アロイジアに思いを寄せていることがアリアの歌詞のなかに暗示され、それを、アロイジアがどう思って歌っていたことか?

ドゥヴィエルは、叙情的なメロディーを静かに切々とうたっていき、最後には激しいまでの劇的な音楽になります。(コロラトゥラ・ソプラノのソロと、オーケストラの伴奏で演奏されます。)

 

7曲め「テッサーリアの民よ!私は求めはいたしません。不滅の神々よ」(K.316)

本曲は、作曲順でいえば、6曲めより4年前の、1779年の作曲です。モーツァルトが、恋人だったアロイジアへのプロポーズをあえなく拒絶された後、つまり彼女との決別からわずか数週間後に作曲されました。片思いに終わった失恋の痛手と夢破れた心境を歌に仮託して、なんと、「自分の痛みをわかってほしい」とばかりに、拒絶した本人であるアロイジアに切々とうたわせています。途中からアリアはテンポもゆっくりめから速めと変わり、華麗なアリアとなっています。

 

8曲め「わが感謝を受けたまえ、やさしき保護者よ」(K.383)

1782年モーツァルトが、慈善演奏会のためにうたうアロイジアのために作曲しました。すでにランゲ夫人となっていたアロイジアへ、モーツァルトが贈った最後のアリアです。ドゥヴィエルは軽やかでさわやかに、そして浪々とうたいます。

 

モーツァルトは、結局アロイジアにはふられてしまいます。しかし、モーツァルトはアロイジアに単に恋をしたというよりも、アロイジアの歌い手としてのきれいに澄んだ歌声に惚れ込み、結局うたの素晴らしさに惚れ込んだといっていいようです。モーツァルト自身は「アロイジアと共に、イタリアに行って、自らが作曲したオペラをアロイジアにうたわせる」という願望を抱いていたといわれています。結局それも夢と消えてしまいました。(続きを読む 9曲め・・)

 

映画『アマデウス』DVD通常版

 

1984年 米 ミロス・フォアマン監督 ロケ地チェコ・プラハ 映画のなかには、アマデウス、コンスタンツェの家庭生活も登場します。モーツァルト・ファンには、代表的音楽が楽しめるし、歴史的な動きもわかるというモーツァルトが好きな人必見の映画。2,200円(税込価格)


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